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沖縄レポ・予告

というほど大げさなものではないのですが
写真などだいたい整理(?)しましたので
まもなくこのブログからもリンクします。

アートスペース系としては、
ギャラリーラファイエット(那覇)
前島アートセンター[MAC](那覇)
スタジオ解放区(コザ=沖縄市)
国立劇場おきなわ

それと、農連市場はじめ例によって食べ物シリーズ。

<以下ちょっと与太話・書き手の混乱を表すため?わざと読みづらくしてます、
申し訳ないす・かつちょこちょこ書き直し予定>
沖縄のアートシーンでは、
「よそもの」(県外出身者・海外含む)の活動が
刺激を与えているみたいに見えました。
それから、MACが登場するまでは
沖縄の現代アートは福岡から見ると
どこにあるか分からなかったのです、
なんというか、あああのひとね、と、なんとなく、な、人づてをたどって、
それが唯一の頼りだったように思います。
美術館も那覇市にはないし・・・
音楽では最先端の活動をし、
観光街では土産物アートは盛況なのに、と思っていました。
情報誌のアートネタは地方ではどこも地味で、分かりづらいし。
MACの登場で、そこに聞けば事情が分かる、という場所・ひとが見えてきました。
先にこのブログでも京都のかたから「公共性」の話が出ていましたが
すべて等しくという公共性(公共性ってホントは?というのはいったん置いて)でなく
これが面白いよ、オススメだよと。
民間運営で、しかもアーティストたちが運営している場所では、
それはいまだと何?誰?どんな動き?って訊ねられる。
MACについて言えばその活動や広報や
スペース全体から伝わってくるものがある。
そのMACが場所を失う・あるいは移転する。
場所があることが必ずしも重要とは思わない、と宮城さん。
それには私も同意する部分がある。
ヨソもの的には、定番場所があったほうが都合はいいけど、
スペースを維持するのは本当に大変なはずだから。
しかし唐突な移転は本当に残念。何とかならんもんでしょうか。
そして、いままた沖縄は県立美術館の話が再浮上、
日本国内の他の例に漏れず「現代」が取れるらしいですが、
(こんなとこでも前例主義かと思うほど)
現代美術的な企画やアーティストとの連動は是非おこなってほしいです。
(コンテンポラリー・同時代の動きとして)
福岡でも再々提案しているアートセンターの必要性は
たいていの自治体的には、美術館があるからイイではないか、となるわけです。
美術館の活動に民間が絡めるといいんですけどね〜。
公立文化施設だとそれこそ公共性の名のもとに判断されるでしょうし
ここで指定管理者制度の話も加わるとこの話は混乱の一途ですが、
つまりは、
新しいアートを生み出す・面白いものを見たい!というような目標
(↑この言葉は多少甘いですが)を
違えなければ何とか道はあるんじゃないかなあと思うのです。
(しかし現在の日本の多くの公立美術館自体は
たぶん、そういう理念で作られていない
つまり、ルールというかコンセプトが違う。
したがって仕組みが違う。
さらに脱線>公立美術館の「公共性」は重要です)
美術館を欲しがる意味が
戦略として美術館を押さえねばイカンとか
(企業も公立の財団もこれを重視する向きが少なくない、
企業もメセナの意味ではなくて)
ジブンの城を持ちたいとか
(日本の政治家が美術館に絡む理由をバングラから来たシャエラ姐に説明するのは難しかった)、
純粋に(?)アートなひとと呼ばれたい☆とか
(最近けっこう居るらしい・笑)
そういうのではなくて・・・。
そういうとき、イメージするのが
ナント市の「ロワイヤル・ドゥ・リュクス」の活動なのでした。
(2005年、仏・アミアン市で見た象パレード、
文学・ダンス・音楽・大道芸・美術・お祭りが融合した新しい表現。
写真コチラhttp://mcpfukuoka.exblog.jp/2032318
あるいは、
別府プロジェクト2006、アートNPOフォーラムin別府の最後のセッションで
二宮さんが言及していた「アートとしての質」。そういうことなのかなと。
(附:二宮圭一さんが、アートプロジェクトの成功には三段階あると話しました。
ひとつめは、関わったスタッフが勉強になって、楽しめること。
ふたつめは、参加したひと、観客が楽しめること。
この二つをクリアすればたいていは成功と言われるし
マスコミ的にもウケはいいであろう。
しかし問題は三段階めである。
そのプロジェクトがアートとして、どうなのか。
新しい芸術として成り立つのか。
別府プロジェクトはこの三段階目をどう考えるのか、と、そういう趣旨でした。)
わー、朝からぐちゃぐちゃ。
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by mcp_fukuoka | 2006-12-06 07:16 | art info/repo