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ソフ キトク

4日ほど前から血圧が下がり危篤状態に陥った父方の祖父、
回復の兆しは見られず少しずつアチラ側へと歩みを進めているようです。

孫で唯一、同居していた立場でもあるので、夜間付き添いを申し出ましたが、祖父の子である伯父が、「これは息子の役割だから」と丁重に断ってきました。
目を離している間に容態が変わったら耐えられないという、そういう心境なのでしょうか。

祖父は明治生まれの申年。今月で白寿。

おじいちゃん、ゆうべ夢に出て来ました。
「婆さんはどこやろうか」って訊いてきました。

実際、祖母は、祖父の居る病院から徒歩5分くらいの別の病院に居るのです。
祖母は、祖父が危篤であることを知りません。
祖母は、祖父より早く死にたくないと前々から言っていました。
祖母も、今月で98歳です。
祖父と祖母はお互いに意識がなくてもつながっているのかもなあと感じています。
(ていうか、私がそう思いたい)

ちなみに、この婆ちゃんは、以前「家が草履に」と書いた婆ちゃんです。

年度末でもあり、仕事は山積していますし、イベントもあれこれ目白押しですが、
出かける気持ちになれず自宅で作業しています。
そして、ふっと思い出しては手が止まってしまいます。

爺ちゃんは仕事が大好きな人でした。
定年退職のあとも関連会社で働き、80歳まで通勤していました。
管理職ではなくて現場の人だったのだろうと思います。
いつも机の上に青い図面が載っていました。
70歳くらいで何か資格を取ったと聞きました。

80歳になったとき、まだ辞めんでくれと慰留されたのを
「もう80やけん、すこし遊ばせてくれ」と断ったそうです。
そのあとも連日、老人会や小旅行や書道教室に出歩き、
20歳ほども年下のガールフレンドを作ったりしていたようです。

90歳を過ぎて調べ物のために、春日原から百道の図書館まで電車で行ったら
たいした資料を見せてもらえずガッカリしたと嘆いていました。
県の図書館のほうは既に訊ねたが見つからなかったとか。。。
何を調べていたのでしょう。

お爺ちゃんの元々の仕事は土木系で、
西鉄福岡駅が天神に出来たときに、
岩田屋と駅をつなげる事業などに関わっていたようです。

私が天神で美術展の仕事をしていることを伝えた時に、
パッと仕事モードの顔に変わったことをよく覚えています。
仕事=社会を作ること、と深く決意していた祖父。
明治のオトコって やっぱり覚悟が違う。

無理をさせる必要はないかと思いつつ
やはり、一日でも長生きしてもらいたいと思います。
by mcp_fukuoka | 2007-03-24 18:03 | m_s diary